輝きをました月の下で、碧猫と芙兎はしばし言葉を忘れた。
碧猫と芙兎の目の前にある芙兎の蜜の入った瓶は、今も闇の色と呼べる暗さをたもっていたけれど、一つ違うのは瓶の中に詰まった闇色がなめらかに重たい蜜の粘度のラインに沿って淡く発光するような光をまとっていることだった。碧猫が先ほど飛びのいたのは、淡く揺らめく光をふくんだ蜜が“うごめいた”ように見えたからだ。
碧猫はおそるおそる覗き込む。
芙兎は不思議そうに首をかしげた。
-------さっきまでは見慣れた色をしていたのに、これはどうしたのだろう。
-------それに、この色。なんと呼べばいいのかわからないけれど、不思議な色。
--------怖いような、けれどとても懐かしいような・・・・・・。
芙兎はふと思いたって、目の前の蜜瓶に柔らかい毛におおわれた自分の前足を伸ばした。
碧猫の大きなグレイアッシュの目が芙兎のとった行動に裂けるばかりに見開かれ、長い尻尾はピンと伸び、短く息がのまれたが芙兎がそれを気付くはずもない。
「・・・・・さっきよりも少し、 冷たいわ。」
芙兎は碧猫の混乱に気がつかぬまま、前足を瓶の肌に触れさせたままポツリとつぶやいた。
「冷たい?」
碧猫は芙兎の感想に、喉の裏で声をひっくり返したような高い声を上げる。
「うん、ひんやりしているの。でも氷みたいな冷たさではないし、なんていうのかしら・・・・」
色といい冷たさといい、芙兎には分からないことばかりだった。碧猫ならきっと何か分かるだろうか。芙兎は碧猫に向き直ってもう一度首をかしげる。
碧猫は芙兎にみつめられ、どうにか落ちつかなくてはと大きく息を吐いた。
「だってさっきまでおなかにくくりつけてあったんだろ、それなら・・・・・」
碧猫は芙兎の手元にある問題の瓶と、芙兎をじゅんぐりに見て一度息を吸い、意を決して自分の爪のない前足を芙兎と同じように瓶の肌に触れさせた。そして、
「・・・・・冷たい、な。芙兎のおなかにくくりつけてあったのに、冷たい。これは、まるで」
「まるで?」
芙兎が碧猫に答えをきこうとした瞬間、芙兎と碧猫のすぐ後ろで
突然、石が砕けるような笑い声がした。
「お月見とは風流だね。おふたかた」
芙兎と碧猫にかけられた声音はでたらめだった。
大きな鉄を動かす時のように甲高くざらついて、けれど音が消えたあとに耳に深い穴が残されたように感じられる。どちらかといえば不快な、しかし芙兎と碧猫には、聞き覚えのある声である。
芙兎と碧猫が驚いたままふりむくとそこには、秋を向かえたといってもまだまだぬるやかな風が吹くにもかかわらず、真っ黒な――――まるで大きな鴉のような―――コートを着込んだ長身の、痩せぎすな男が一人立っていた。
「大鴉!」
芙兎が男の薄い肩口のラインを確認してはずむ声で彼の名を呼ぶと、大鴉と呼ばれた彼はにっこり微笑んだ。逆に碧猫は苦虫をかんだように顔をしかめ、芙兎の前に枝のように細い足を器用にたたんでしゃがんだ大鴉のつむじらへんを、厳しくにらんだ。
「こんばんは、芙蓉兎のお嬢さん。あいもかわらず砂糖菓子のように麗しい毛並みだね」
「こんばんは、あなたも相変わらず夜みたいに素敵に黒い瞳ね」
「気が合うね。私も実は気にいっているんだ。・・・・・碧猫くんも、こんばんわ」
「なにをしにきた」
碧猫は大鴉から芙兎をかばうように、自分の身体を割り込ませて真上にある大鴉の瞳をさらにキツクにらみつける。
大鴉は碧猫のその態度をしごく面白そうに見て、くつりくつりとのどの奥で笑った。
「なにも。久しぶりの満月だろ?〆に下で演劇を見た帰りしな、上から面白そうな話が聞こえたんでのぼってきただけさ」
「お前に話すことなんて、なんのひとつもない!」
碧猫が毛を逆立てて大鴉に噛み付くので、芙兎は困って間に入る。
「碧猫、どうしてそんなことをいうの?」
「どうしてだって?!芙兎はまだわかっていないのか」
「わかっていないって、だって大鴉は友達でしょ?」
「友達なもんか!こいつが何であるのか芙兎だって知っているだろう?!」
碧猫が言いたいことは芙兎にもわかった。
大鴉は、“言語の怪物”と恐れられたジャバオッキーの末裔なのである。幾ら時代を経て血が薄れたといっても“怪物”とやばれる血を継いでいる大鴉は、芙兎や碧猫よりもう少し違う世界で生きている生き物だった。だから、こうやって満月の日だけ人間の姿になることだって出来る。そして下北沢の路地に潜み、迷い込んできた子供を誘い【数珠繋ぎ】という言葉遊びを持ちかけ生れる怪物を食べて生きている。時たま、反対にその言葉遊びに夢中になってしまった子供をさらうこともあるというが本当かはわからないし、大鴉にたずねても目と口を糸のように細めて笑うだけで何も教えてくれない。
芙兎は碧猫と大鴉が同じ街で暮らすもの同士、もうすこし仲良くなってくれればいいのにとも思うが両方ともにその気はない事がありありとわかるのだからどうしようもない。
「まぁまあ、碧猫くんが私を忌み嫌うのももっともさ。それで?いったいなにが起きたんだい」
大鴉は芙兎に黒い瞳を向けて、興味津々と言うように目を細めた。