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記憶
 「芙兎、こいつに話してやる事なんて何もないんだぞ」
 碧猫は厳しい口調で大鴉と対峙している。
 芙兎はとまどった。
「友達なもんか!」
 そう言った碧猫の言葉をもう二三度反芻した。芙兎には、わからなかった。
 碧猫がいう大鴉は友達ではないという意味はなんとなく理解できる。きっと大鴉は芙兎と碧猫には決して見えない場所で…見えない大きな言葉の闇の場所で…。
 うつむいた芙兎の頭の中で、さきほど碧猫と見ていた大きな満月がゆらゆらとたゆたい、豊満な光を、とても豊満な光をもう一度見たいと言う思いがフっと駈けた。芙兎は頭をもたげると、下北沢の夜空に君臨する光の円を見つめた。
「ねえ、大鴉、あの月を見てよ、きれいでしょう?」
 大鴉は細めた目の力を緩めて芙兎の言うとおりに月を見上げた。
「…ああ、今日は中秋の名月だろう」
 大鴉はおもむろに声を発した。その声にはやはり、鉄を動かすような不快なひびきが含まれていたが芙兎は気にしなかった。
「そうよ、私は満月が大好きなのよ。碧猫と満月をみることはとても愉しいし、普段はどこにいるのかわからないあなただって、人の姿になって演劇だって見られる上に、こうして会うことができるのだから。満月の日には良い事がいっぱい起きるの」
 大鴉は再び目を細めて、口の隅で笑みを浮かべる。
「とても寛大な考えをお持ちのようだね、芙蓉兎のお嬢さんは」 
「そんなんじゃないわ、ただ…私は大鴉とも碧猫とも、仲良くしたいだけなのよ」
 芙兎の、ピアスのついた細い耳がうなだれた。
 碧猫はそれを聞いてたじろいだ。

 
 碧猫にとって大鴉と仲良くするというのは、芙兎の想像していること以上に困難なことであった。
 そりゃ、芙兎はいいよな。ただ平和に、この場の予定調和が保たれて、皆が笑えて楽しい満月の夜をすごすことだけを考えているのだから。
 碧猫だって、だれかを忌まずにいられたらどんなにいいだろうとは思うのだった。しかし大鴉とだけは、どうしてもそれができない。
  碧猫の脳裡に、やむをえず思い出したくはない記憶がせりだしてくる。しかし、それを表情にだしてはならない。洞察のするどい大鴉は、きっとすぐそのことに気がつくだろう。
 碧猫の希望とはうらはらに、大鴉ははやくも碧猫の心情に気がついたようだった。
 「おや、碧猫君、どうしたんだい?急に覇気がなくなって」
 「何でもない」
 碧猫は全身の毛がよだつのを必死で隠そうとして、体をこわばらせた。
「どうやら、また碧猫くんに思い出させてしまったようだな、本当に気の毒なことをしたな」
 フフ、と大鴉は余裕綽々の表情で笑う。
 芙兎は、首をかしげた。
「どうしたの、ふたりとも…」
「フフフ、まあ今日は芙蓉兎のお嬢様もいることだし、あまり我々の話をするのはよそうか…錆猫のような、古い話なんてもうしたくないだろう?」
 その不愉快な口ぶりは、碧猫をわざと暗い記憶におとしめているようにしかきこえなかった。
 錆猫、その言葉を聞いた瞬間に碧猫のアッシュがかった目は開かれ、全身の毛は今まで我慢していた反動で今までにないほどに逆立ち、その流れは碧猫自身にもコントロールが利かないほどに強く全身の皮膚の力が外へと張り出して行く。
「こいつ…ふざけるな!!」
「あ、碧猫…」
 芙兎は、今までに見た事のないほど怒りをあらわにしている碧猫をみてうろたえている。
 芙兎にも、錆猫という名は聞き覚えがあった。錆猫は、碧猫のいとこにあたる猫だ。芙兎と錆猫は直接会ったとこはなかった。ただ、碧猫や大鴉からきくところによると錆猫が駅の前のロータリーで昼寝をすることが大好きで、しなやかできれいな毛並みと深い緑色の瞳とを持っている子というだという話を聞いていた。
 今度、錆猫ちゃんに会いたいわ。こう碧猫と約束してひさしくなるが、その約束は未だはたされていない。それどころか最近は、碧猫も大鴉もめっきり錆猫の名前をださなくなり、錆猫が今なにをしているのか、どこにいるのかということは芙兎の予想のつく範囲ではなくなっていた。
 錆猫の話がでなくなると同時に、大鴉と碧猫の不仲はげしくなったようだった。
「お前…本当はここになにか話があってきたんだろう!」
 大鴉の表情に笑みは消えた。
「そうさ、よく分かったな」
 大鴉はすっくと枝のように細い脚で立ち上がり、芙兎と碧猫を舐め回すように見つめた。
「この日を、待っていたんだ。中秋の、名月を」
 大鴉の声音は一変した。
 せつないほどに潤いを取り戻したような、しかし悲しみの孕まれた音。
 碧猫の久しく聞いていない声ーーーー錆猫の声だった。 
# by kiarosumita2502 | 2005-10-06 00:23 | 童話


芙兎と碧猫02 【きっかけ】


輝きをました月の下で、碧猫と芙兎はしばし言葉を忘れた。


碧猫と芙兎の目の前にある芙兎の蜜の入った瓶は、今も闇の色と呼べる暗さをたもっていたけれど、一つ違うのは瓶の中に詰まった闇色がなめらかに重たい蜜の粘度のラインに沿って淡く発光するような光をまとっていることだった。碧猫が先ほど飛びのいたのは、淡く揺らめく光をふくんだ蜜が“うごめいた”ように見えたからだ。

碧猫はおそるおそる覗き込む。
芙兎は不思議そうに首をかしげた。

-------さっきまでは見慣れた色をしていたのに、これはどうしたのだろう。
-------それに、この色。なんと呼べばいいのかわからないけれど、不思議な色。
--------怖いような、けれどとても懐かしいような・・・・・・。
芙兎はふと思いたって、目の前の蜜瓶に柔らかい毛におおわれた自分の前足を伸ばした。
碧猫の大きなグレイアッシュの目が芙兎のとった行動に裂けるばかりに見開かれ、長い尻尾はピンと伸び、短く息がのまれたが芙兎がそれを気付くはずもない。
「・・・・・さっきよりも少し、 冷たいわ。」
芙兎は碧猫の混乱に気がつかぬまま、前足を瓶の肌に触れさせたままポツリとつぶやいた。
「冷たい?」
碧猫は芙兎の感想に、喉の裏で声をひっくり返したような高い声を上げる。
「うん、ひんやりしているの。でも氷みたいな冷たさではないし、なんていうのかしら・・・・」
色といい冷たさといい、芙兎には分からないことばかりだった。碧猫ならきっと何か分かるだろうか。芙兎は碧猫に向き直ってもう一度首をかしげる。
碧猫は芙兎にみつめられ、どうにか落ちつかなくてはと大きく息を吐いた。
「だってさっきまでおなかにくくりつけてあったんだろ、それなら・・・・・」
碧猫は芙兎の手元にある問題の瓶と、芙兎をじゅんぐりに見て一度息を吸い、意を決して自分の爪のない前足を芙兎と同じように瓶の肌に触れさせた。そして、
「・・・・・冷たい、な。芙兎のおなかにくくりつけてあったのに、冷たい。これは、まるで」
「まるで?」
芙兎が碧猫に答えをきこうとした瞬間、芙兎と碧猫のすぐ後ろで
突然、石が砕けるような笑い声がした。





「お月見とは風流だね。おふたかた」
芙兎と碧猫にかけられた声音はでたらめだった。
大きな鉄を動かす時のように甲高くざらついて、けれど音が消えたあとに耳に深い穴が残されたように感じられる。どちらかといえば不快な、しかし芙兎と碧猫には、聞き覚えのある声である。
芙兎と碧猫が驚いたままふりむくとそこには、秋を向かえたといってもまだまだぬるやかな風が吹くにもかかわらず、真っ黒な――――まるで大きな鴉のような―――コートを着込んだ長身の、痩せぎすな男が一人立っていた。
「大鴉!」
芙兎が男の薄い肩口のラインを確認してはずむ声で彼の名を呼ぶと、大鴉と呼ばれた彼はにっこり微笑んだ。逆に碧猫は苦虫をかんだように顔をしかめ、芙兎の前に枝のように細い足を器用にたたんでしゃがんだ大鴉のつむじらへんを、厳しくにらんだ。
「こんばんは、芙蓉兎のお嬢さん。あいもかわらず砂糖菓子のように麗しい毛並みだね」
「こんばんは、あなたも相変わらず夜みたいに素敵に黒い瞳ね」
「気が合うね。私も実は気にいっているんだ。・・・・・碧猫くんも、こんばんわ」
「なにをしにきた」
碧猫は大鴉から芙兎をかばうように、自分の身体を割り込ませて真上にある大鴉の瞳をさらにキツクにらみつける。
大鴉は碧猫のその態度をしごく面白そうに見て、くつりくつりとのどの奥で笑った。
「なにも。久しぶりの満月だろ?〆に下で演劇を見た帰りしな、上から面白そうな話が聞こえたんでのぼってきただけさ」
「お前に話すことなんて、なんのひとつもない!」
碧猫が毛を逆立てて大鴉に噛み付くので、芙兎は困って間に入る。
「碧猫、どうしてそんなことをいうの?」
「どうしてだって?!芙兎はまだわかっていないのか」
「わかっていないって、だって大鴉は友達でしょ?」
「友達なもんか!こいつが何であるのか芙兎だって知っているだろう?!」



碧猫が言いたいことは芙兎にもわかった。
大鴉は、“言語の怪物”と恐れられたジャバオッキーの末裔なのである。幾ら時代を経て血が薄れたといっても“怪物”とやばれる血を継いでいる大鴉は、芙兎や碧猫よりもう少し違う世界で生きている生き物だった。だから、こうやって満月の日だけ人間の姿になることだって出来る。そして下北沢の路地に潜み、迷い込んできた子供を誘い【数珠繋ぎ】という言葉遊びを持ちかけ生れる怪物を食べて生きている。時たま、反対にその言葉遊びに夢中になってしまった子供をさらうこともあるというが本当かはわからないし、大鴉にたずねても目と口を糸のように細めて笑うだけで何も教えてくれない。
芙兎は碧猫と大鴉が同じ街で暮らすもの同士、もうすこし仲良くなってくれればいいのにとも思うが両方ともにその気はない事がありありとわかるのだからどうしようもない。

「まぁまあ、碧猫くんが私を忌み嫌うのももっともさ。それで?いったいなにが起きたんだい」
大鴉は芙兎に黒い瞳を向けて、興味津々と言うように目を細めた。
# by kiarosumita2502 | 2005-09-23 16:52 | 童話


芙兎と碧猫
 芙兎と碧猫は中秋の名月に会うことを決めていた。
 
 下北沢の本田劇場の前で会ったふたりは立ち入り禁止の屋上にのぼり、東京の夜空を眺めて、らんらんと光る目をじっと満月に向けていた。
 芙兎はとびはねない兎、碧猫は爪のない猫。

 「いつになったら夜が始まるんだろうね」
 碧猫はためいきまじりに言った。
 芙兎は耳をかいた。しかし芙兎の前足は不器用で、むずむずするところに届かない。
 それを見ていた碧猫は、ここだろ?といってフン、と前足を芙兎の耳の前で払った。
 芙兎の耳にとまっていたちいさな蛾が逃げていった。
「ありがとう碧猫。しかし、もう夜は始まっているよ、見えないの?あの満月が」
「満月が見えたら夜なのかい?」
 碧猫は長いしっぽをくるりとひねらせた。
「いや、そうゆうわけじゃないけど…。太陽がいなくなって、月や星が輝くくらいに空が暗くなったら夜ってゆうのよ」
「芙兎は、日没をいいたいんだろう?日没のあとが夜とは、限らないじゃないか」
「うーん、じゃ碧猫にとって夜とは何なの?」    
「これだよ」
 碧猫は、首を傾げて首輪を芙兎に見せた。
 首輪は七色のガラス玉でできていた。
「このガラス玉がぱんとはじけて地面に散らばったとき、僕の夜は始まるんだ」
「碧猫、それひょっとして…」
「そうだよ、芙兎にもついているじゃないか」
 芙兎は耳をくにゃりと曲げて、右耳の先に通された銀色のピアスを見つめた。ピアスは雨の雫のようにさりげない形をしているが、耳にしっかりとくっついている。
「碧猫、このピアスはしていてあまり良い気分じゃないわ。しょっちゅうかゆくなるし、ずしりと重いの」
「僕だって。この首輪のせいで食べ物が喉を通りにくいし、息苦しいさ」
 ふーん、といって芙兎は近づいて碧猫の首元を見た。
「でもこのガラス玉、よく似合っているし、きれい」
 ガラス玉のなかにはそれを見つめる芙兎の大きな眼が歪んで映し出されていた。
「とにかくね、この首輪と芙兎のピアスがはずれない限り、僕たちにとっての夜は始まらないんだよ」
 噛んで含めるような言い方は、碧猫の得意とする話し方である。
 碧猫の話にはいつも説得力がある。話術がうまい訳でもないし、語彙が多いわけでもないのに、どうして納得してしまうんだろう。芙兎にとって碧猫の喋り方は理想的だった。
「ふーん。でも、まだよくわかんない。いつどうやって外れるのか、全然私にはわからいないよ」
 芙兎はコンクリートの冷たい地面の上にどっこいと座り、おなかにくくり付けてあった黒い蜜の入った瓶の蓋をあけ、中身を舐めた。黒い蜜はカラメルと蜂蜜をまぜて作る、芙兎の大好物だった。
 碧猫はしっぽを巻いて座り込んだ。そして、グレイアッシュの瞳を見開かせて言った。
「まっくらな闇のような色をしているな、その蜜は」
「よかったら、どう?ちょっと作りすぎたし、重たいし」
「僕は甘いのは嫌いなんだ」
 芙兎は丈夫な前歯をのぞかせてけらけらと笑った。
「なに言ってるの、これは甘くないの。たしかに蜂蜜とカラメルだけじゃ甘いけど、プラスして入れるものがあって、それを入れたらにがーい蜜ができるのよ」
 関心したように碧猫はしっぽを一振りした。
「へえ、なにを入れてるの?」
 芙兎は得意げに、ピンク色の鼻をひくひくさせた。
「下北沢駅のガード下で、音を集めるの、私の耳のなかにね」
 碧猫の、アッシュがかった瞳がぱちりとしばたいた。
「その音を、このなかに入れてよく混ぜるのね。そうしたらなんとも言えない、ほろにがくて少しあまい蜜ができるの」
「そんなことができるんだ、芙兎は。どうやって音を耳に入れるんだい?」
 芙兎は前歯を見せてクッと笑った。
「教えても良いけれど、教えたって碧猫にはできないよ。だってこれは兎の中でも変わった兎にしかできないことなんだもの。それにこれ、説明しろといってもなかなか口では説明できない技なのよ。耳に血を集めて、ふんって鼻息をならしてじっと草の中でガード下の電車の轟音に耐えなくてはならないんだから、大変なの。兎にとって大きな音というのは、本当に怖いものなんだもの」
「そんなにがんばって作ったものなら、ちょっと舐めさせてよ」
 碧猫はすっかり蜜の味に興味を奪われてしまった。
「どうぞどうぞ」
 芙兎は愉快そうにおなかにくくりつけてあった瓶を外し、碧猫の前にコトンとおいた。
 碧猫はおもむろに顔を近づけた、しかし次の瞬間、碧猫は大きく眼を見開いて一歩うしろに引いたのである。
「どうしたの?」
「…あれ?芙兎、この蜜は初め、こんな色をしていなかったよな?」
「あ、本当だ…」
 そのとき満月はいっそう輝いたかのように見えた。



 
# by kiarosumita2502 | 2005-09-22 10:39 | 童話

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